鑑眞 渡日 이유에 관한 諸說

Title
鑑眞 渡日 이유에 관한 諸說
Other Titles
Reason of the Ganjin visit to Japan
Author(s)
임남수
Keywords
Ganjin(鑑真); Shotokutaishi(聖德太子); Toshodaiji(唐招提寺); Tendaishu(天台宗); Daiwajotoseiden(唐大和上東征伝); Eshi(慧思); 간진(鑑真); 쇼토쿠타이시(聖德太子); 도쇼다이지(唐招提寺); 덴다이슈(天台宗); 다이와죠토세이덴(唐大和上東征伝); 에시(慧思); 鑑真; 聖德太子; 慧思; 天台宗; 唐大和上東征伝; 唐招提寺
Issue Date
201504
Publisher
전북사학회
Citation
전북사학, no.46, pp.315 - 337
Abstract
 七五三年、鑑真は渡日し、戒律や天台教学を伝えるなど日本の仏教界に新しい風を吹き込み、これによって大仏以前とは異なる新しい日本仏教が動き出した。それゆえ鑑真渡日は飛鳥の仏教伝来につぐ日本仏教史上における大事件といえる。  当時、日本は唐からは絶域と考えられ、唐人に地獄の門とも認識されていた。ところが、鑑真は唐地においてすでに名望ある高僧であったにもかかわらず、身の危険を顧みず、渡日を決心し、十二年間のあらゆる苦難にも挫けず、ついにその志を貫徹したのである。すると、鑑真がなぜ日本への渡海を決意したか、その理由を探ることは鑑真個人のみならず日本や中国仏教史の研究にきわめて重要な問題といわねばならない。本稿では、この問題に関する先行研究を詳しく検討し、鑑真渡日をめぐる背景やその意義について考察した。  第一、聖徳太子敬慕説は日本天台宗の成立と展開において重要な意味を持つのだが、基礎史料である『東征傳』と『名記傳』の記事を厳密に分析すると、鑑真と日本僧侶との発言に食い違いがあり、鑑真が聖徳太子を敬慕して来日に至ったと解することは困難であると考えられる。  第二、唐のスパイ説は奈良時代の政治史に対する認識の相違から始まる見解であり、検討の対象ではないが、遣唐使の伝戒師要請に関する問題提起は一理あるものと考えられる。これは鑑真渡日後の日本における仏教界の反応とも関連があるように思われる。  第三、慧思信仰説は中国人研究者によって提起されたもので、鑑真が慧思の後身を追って日本へ渡ったという見解である。中国側の視覚や史料の引用によって、今まで日本の観点から行われきた斯界に一石を投じたという点で注目に値する。ただ、慧思を強調したあまり、鑑真と慧思、天台信仰との関係を明確に整理し得なかったことは惜しまれる。  第四,天台布教説は『名記傳』の記事を根拠に鑑真と弟子らが天台仏教を日本に伝えるために渡日したという主張である。しかし、鑑真と弟子らの日本における行跡をみると、天台仏教を布教するための活動はほとんどなく、説得力は弱いと考えられる。    以上のように、鑑真渡日の理由については、今だ定説をみていないのが現状である。鑑真については他の高僧に比して多くの史料が残っているものの、偉大な僧侶としてのイメージに囲まれてその実相がよく見えないようである。したがって、この問題は単一視点や方法論より多様なプリズムを用いてスペクトラムを広げて研究することが望ましい。
URI
http://hdl.handle.net/YU.REPOSITORY/32595
ISSN
1229-2001
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